【我是貓】第二章(十四)﹙原文﹚ 夏目漱石

 


東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの()にか迷亭先生の手紙が来ている。

「新年の御慶(ぎょけい)目出度(めでたく)申納候(もうしおさめそろ)……

  いつになく出が真面目だと主人が思う。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後そのご別に恋着れんちゃくせる婦人も無之これなく、いずかたより艶書えんしょも参らず、ず無事に消光まかり在りそろ間、乍憚はばかりながら御休心可被下候くださるべくそろ」と云うのが来たくらいである。それにくらべるとこの年始状は例外にも世間的である。

「一寸参堂仕り(たく)候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針を(もっ)て、此千古未曾有(みぞう)の新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上(そろ)……

  なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。

 「昨日は一刻のひまをぬすみ、東風子にトチメンボーの御馳走ごちそうを致さんと存じ候処そろところ生憎あいにく材料払底のめ其意を果さず、遺憾いかん千万に存候ぞんじそろ……

 そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。

 「明日は某男爵の歌留多会かるたかい、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……

  うるさいなと、主人は読みとばす。

  別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。

 「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供したき心得に御座そろ寒厨かんちゅう何の珍味も無之候これなくそうらえども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候おりそろ……

 まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人はちょっとむっとする。

  しかしトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候かねそろも計りがたきにつき、其節は孔雀くじゃくしたでも御風味に入れ可申候もうすべくそろ……

 両天秤(りょうてんびん)をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。

「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の(なか)ばにも足らぬ程故健啖(けんたん)なる大兄の胃嚢(いぶくろ)()たす為には……

 うそをつけと主人は打ち()ったようにいう。

「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる(べか)らずと存候(ぞんじそろ)。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋(など)には一向(いっこう)見当り不申(もうさず)苦心(くしん)此事(このこと)に御座(そろ)……

  独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人はごうも感謝の意を表しない。

 「此孔雀の舌の料理は往昔(おうせき)羅馬ローマ全盛のみぎり、一時非常に流行致し候(そろ)ものにて、豪奢(ごうしゃ)風流の極度と平生よりひそかに食指(しょくし)を動かし居候(おりそろ)次第御諒察(ごりょうさつ)可被下候(くださるべくそろ)……

 何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。


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