【我是貓】第二章(十三)﹙原文﹚ 夏目漱石
「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。花魁が法学士のK君でしたが、 口髯 を生やして、女の甘ったるいせりふを 使 かうのですからちょっと妙でした。それにその花魁が 癪 を起すところがあるので …… 」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。「ええとにかく表情が大事ですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。「癪だけは 第一回 には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。「ところで君は何の役割でした」と主人が聞く。「 私 しは船頭」 「へー、君が船頭」君にして船頭が 務 まるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気を 洩 らす。やがて「船頭は無理でしたか」と御世辞のないところを打ち明ける。東風子は別段癪に障った様子もない。やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しも 竜頭蛇尾 に終りました。実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるという事を、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものと見えます。 私 しが船頭の 仮色 を使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、 …… つまり身振りがあまり過ぎたのでしょう、今まで 耐 らえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、 極 りが 悪 るい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしても 後 がつづけられないので、とうとうそれ 限 りで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず 咽喉仏 がごろごろ鳴る。主人はいよいよ柔かに頭を 撫 でてくれる。 人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なところもある。「それは飛んだ事で」と主人は正月早々 弔詞 を述べている。「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、今日出ましたのも全くそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。「いえ、癪などは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうに 小菊版 の帳面...